医薬品の日本での歩み
西暦 | 概要 |
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1863 | ドイツにてフリードリヒ・バイエル社 染料会社として創立 |
1888 | バイエル医薬品「フェナセチン」が初めて日本に紹介される |
1889 | 卸店の価格表に「フェナセチン」が掲載 |
1900 | 「Aspirin」などの欧文商標登録…アスピリンが取り扱われた最初の記録 |
1908 | 医師訪問によるバイエル医薬品宣伝活動開始…プロパー(MR)の草分けとなる |
1911 | 業界初の外資系メーカーの直営企業としてフリードリヒ・バイエル合名会社創業 |
1917 | 第一次世界大戦により、輸入が途絶え、開店休業状態となる |
1918 | 「アスピリン」商標登録取り消しとなる |
1919 | 終戦後、営業再開 |
1927 | バイエル・マイステル・ルチウス薬品合名会社設立 |
1935 | バイエル薬品合名会社と改称 |
1973 | バイエル・武田・吉富の3社による日独合弁のバイエル薬品株式会社創立 |
1979 | 滋賀工場操業開始 |
1988 | カッター・ジャパン株式会社と合併 |
1989 | 自販体制スタート |
2001 | バイエル株式会社(現バイエル ホールディング株式会社)がバイエル薬品株式会社の100%株主となる |
2007 | バイエルメディカル株式会社より、ダイアベティスケア事業の販売権を承継 日本シエーリング株式会社と統合 |
2008 | バイエルメディカル株式会社の動物用薬品事業部を統合 本社を移転し、本社機能を一カ所に統合 |
2010 | インテンディス株式会社を合併 |
バイエル、いにしえの医薬品
今、私たちの間では、生活習慣病やがん、高齢化にともなう病気が健康問題の多くを占め、バイエルもそうした治療のニーズに応える努力をしています。病との闘い。その姿は時代とともに変化しており、かつては感染症が闘いのメインでした。ドイツから西洋医学が盛んに取り入れられるようになった明治時代、フェナセチンやプロントジル(サルファ剤)などの合成医薬品が輸入され、医療における日本の人々へのバイエルの貢献が始まりました。(写真は昭和初期から中期のバイエル医薬品の一部です。)
1930年代の日本におけるアスピリンの包装
解熱・鎮痛剤として生まれたアスピリン。1899年にドイツで発売され、翌年には日本にもやってきました。近代における新たな治療効果の発見によってその用途を広げながら、アスピリンは今も人々の健康を支え続けています。
バイエル初の医薬品として1888年にドイツで生まれたフェナセチン(解熱鎮痛薬)
現代の医療用医薬品には見られない洒落たパッケージデザインが目を引きます。
EDは現代病?
近年新しく拓かれた疾患としてのEDと治療の概念。しかしEDの悩みは昔からありました。いにしえのバイエルでもその治療ニーズを意識していたようです。バイエルの強壮剤「ユベニン」の説明書には、生殖器領域に好影響を与えるという記述があります。
抗マラリア薬
マラリアは現代においてもアフリカ諸国では主要な死亡原因です。かつては日本でも、「おこり」と称する軽症のマラリアがありました。バイエルの熱帯病との闘いは現代まで引き継がれています。バイエル ヘルスケア社はシャーガス病(カメムシの類のサシガメが媒介する病気)への取り組みでLampit(R)(有効成分:nifurtimox )を寄贈し、WHOを支援しています。
※写真はアテブリン
プロントジル(感染症治療薬)の功績で1939年にノーベル賞を受賞
バイエルの化学者、ゲルハルト・ドーマクはプロントジル(感染症治療薬)の功績で1939年にノーベル賞を受賞。サルファ剤の父と称えられました。写真はガラス製のアンプルに入った注射剤。近年、注射剤の容器はプラスチック製が増えています。